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ジュンスカ・宮田和弥、バンドブーム時代の自分に会ったら「正座させて説教だ!」

 原宿ホコ天での爆発的な人気からメジャーデビューへ。メンバーが出演したCMソング『歩いていこう』が大ヒットし、史上最短記録でアーティストの憧れのステージ“武道館”に立った。その後も『白いクリスマス』『START』と誰もが知るヒットソングを生み出してきたJUN SKY WALKER(S)。今年、デビュー30年という節目の年を迎える国民的バンド“ジュンスカ”が、いちどは解散を経験しながらも走り続ける理由とは――。

週刊女性PRIME 2/25(日) 12:00配信
宮田和弥 撮影/佐藤靖彦

高校1年で「俺たちは絶対これでプロになる」

 ポジティブな歌詞にストレートなビート。袖丈のだぶついたロングTシャツに細身のブラックジーンズ。足元は、ラバーソール。ホコ天出身のバンドとして時代のアイコンとなったジュン・スカイ・ウォーカーズのボーカル、宮田和弥(52)。今年、記念イヤーを迎える宮田がロックと出会ったのは中学生のとき。1学年先輩の森純太(ギター)や同級生の小林雅之(ドラム)に誘われたことで、ジュンスカが始まった。

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「高校1年生のときだったかな。森くんが“俺たちは絶対これでプロになる。プロになる意志がないなら辞めてくれ”って言ってね。人気があったわけでも、うまかったわけでもなかったけど、がむしゃらだったし、ライブにかける情熱みたいなものは強かった。対バン(同じライブハウスで、複数のアーティストが競演すること)では負けない! って、いつも思ってました。でも、実際はお客さんが3~5人なんてことも多くって。だからホコ天に出たんです」

 最初は5組ほどのバンドしかいなかったホコ天だが、ブームの到来で、全盛期は100組ほどが賑わしていた。なかでも、ずば抜けた人気を集めていたジュンスカにレコード会社から声がかかり、1988年にメジャーデビュー。ザ・ブルーハーツ、ユニコーン、ザ・ブームらとともにバンドブームを牽引(けんいん)した。

「ホコ天で、ブームの宮沢(和史)が、曲間にトランポリンを飛んでた記憶がありますね。みんな少しでも目立ちたかった。でも、バンド同士でケンカしたり、群れたりとかはなかったですね。ただユニコーンとは飲んだり、ゴーカート行ったり、旅行したりと仲がよかった。いただいた牡蠣(かき)を(広島出身の奥田)民生の家にもっていって殻を開けてもらったこともあった。あいつ、僕がひとつあける間に10個ぐらいできちゃうの」

 当時を「洗濯機の中に投げ込まれたスーパーボールみたい」だったと振り返る。

「渋谷公会堂で初ライブをしていた当時、僕はまだ家賃が2万円のアパート暮らし。打ち上げで飲んでると銭湯が閉まってしまうから、途中で帰ってた。いっぽうで、ラジオで『○○って車が欲しいな』なんて言っちゃうと、あげますって人が出てきたり、街で人だかりができちゃって、警察に誘導してもらうことになったり。俺を中心に地球は回ってる! みたいな気持ちになったよね。今の僕がそのころの自分に会ったら正座させて説教だ! って思うんだけどね」

裏切れないから決断したバンドの解散

 やがて、1993年に寺岡呼人が脱退。忙しさから曲作りもうまくいかず、歪(ひず)みが生まれていった。

「’90年代後半ってちょっと混沌(こんとん)としてくるでしょ。そういう時代に『歩いていこう』や『START』とかに代表される明るい前向きな歌が合わなくなっていった。僕自身も歌いたくない! となってしまって。僕のやりたいこととジュンスカの方向性が一致しないというか。いまなら、ソロとかユニットとか、グループ以外の自由な活動もできたかもしれない。でも当時はそれがバンドに対しての裏切り行為みたいで許されなかったし、僕もやっちゃいけないって思っていた。そうやって生まれた軋轢(あつれき)、衝突が重なって解散しちゃうんだけどね」

 いまでは笑い話だが、当時の宮田と森は、携帯電話から互いの電話番号を消去したり、どこかですれ違っても目も合わせないなど、互いを本気で嫌っていたそうだ。

「兄弟ゲンカですよね。中学生のときから一緒にやってるメンバーですし、仲間で兄弟だから1度、溝ができると大きかった。でもこうやって再結成して、10年。いまは本当の家族みたいなもんかな」

 再結成を実現させたのはドラムの小林だ。ちょうど20周年の年に、親交のあるライブハウスから届いた出演依頼がきっかけだった。

「小林がひとりひとりに連絡して、焼き肉屋で4人で肉を囲むんだけど、やっぱりぎこちなくて。最初は肉が焦げつきそうでも誰も返さない、お酒があいてもつがない。全部、小林が焼いて、酒もついで。でもね、凍ったタンが炎にあぶられて溶けていくように、僕らの気持ちも溶けていったというか。終わるころには、“じゃあ、やろう!”って」

 このときは、どちらかと言えばお祭り感覚だったそうだが、2011年の東日本大震災の復興支援ツアーをきっかけに完全復活を果たした。

「ひとりでもがいた30代があって、歌うことが自分の生きがいなんだ、“宮田和弥は歌ってなんぼ”って思えたのは40代から。ジュンスカの僕は神輿(みこし)の上にいる旗ふり役だけど、それはメンバーが動かしてくれているんだってことを実感しています。それと、それこそ震災後からだと思うけど、普遍的な言葉は死なないとも思うようになった。解散したころは、ダサくて歌えないなって思っていたものも、いまはそういう歌こそが大事だし、カッコいいなって思える。1周したじゃないですけれど、ジュン・スカイ・ウォーカーズは、ブランドでありジャンルだから」

 現在は、ジュンスカの活動はもちろん、各々がソロアーティストとしても活躍している。

「それぞれが音楽で生きてる。そこがいいなって思ってます」

 そんな30周年の新たなチャレンジとなったのが、カバーアルバム『BADAS(S)』だ。楽曲は、日本のロック界に多大な影響を与えた、故・忌野清志郎さん(RCサクセション)、BOO/WYなどジャパニーズロックの先達から、ともにバンドブームを牽引したザ・ブルーハーツ、さらに松任谷由実まで、バラエティー豊かなラインナップとなっている。

「自分たちが少年時代に聴いてきた曲、僕らに影響を受けた世代のもの、それから音楽仲間たちの作品という3つから選びました」

どんな曲でも4人そろうとジュンスカ

 一見すると、異色とも思えるのが松任谷由実だが、ごく自然なことなんだとか。

「当時から、森くんや(寺岡)呼人は、ユーミンの曲をよく聴いていてね。森くんが昔、“ジュンスカは、ユーミンのメロディーに、(アメリカのパンク・ロックバンド)ラモーンズのバンドサウンドを乗っけた”って言ってたんですよ。パンクなのにポップなのがジュンスカなんです。そういう意味で、ルーツとも言えるユーミンはこのアルバムの目玉のひとつだと思いますよ。とはいえ、ユーミン、スピッツ、ミスチルの楽曲は、僕にはない歌いまわしだったから難しくって、練習もたくさんしたんです。でも、いざレコーディングになって森純太のギター、寺岡呼人のベース、小林雅之のドラムでやるとすぐにピタッとハマる。不思議ですよね。どんな音楽も僕らがやればジュンスカになるってことを改めて感じたアルバムでした」

 オリジナル曲ではなく、カバーアルバムにしたのは、彼らの音楽を振り返るとともに、未来へのバトンをつなぐという意味もある。

「先日、僕らが昔、歌番組でやった『雨上がりの夜空に』(RCサクセション)を見たというファンが、私にとってのオリジナルは宮田さんです! と言ってくれて。それはとても恐れ多いことなんだけど、音楽って、いいものは伝えられていくわけでしょ。清志郎さんはもう亡くなってしまったけど、歌いつなぐことで生き続ける。それって素敵なことじゃない? 僕たちの血となり肉となったものを、次の世代にバトンタッチする。そんな気持ちもあるんです。それが30周年のスタートに出せたことがとてもうれしいよね」

 30周年イヤーは新曲づくりはもちろん、来年にかけて47都道府県を全て回るツアーも計画しているそう。

「1度大きな花火をあげることより、続けていくことのほうが難しい。だから、いまは、身の丈に合った場所で、来てくれた人に質の高い音楽を贈ることを大事にしたいですね。そのためにも、健康第一! 僕、2月で52歳になったんですけど、いまがいちばん、音楽と純粋に向き合っているのかもしれない。いま、すごく楽しいし、これからが楽しみなんですよ」

■取材後記
撮影現場に颯爽(さっそう)と現れると、すぐに取材がスタート。『週刊女性』本誌を手にとり「たまに見ますよ」と、フランクに語り始めた宮田。「やりたくないことは、しない」そのポリシーは若いころから変わらないそう。曲に乗せて届けてくれる、宮田のウソのない言霊だからこそ、時代を超えて、多くの人の心を動かし続けているのだろう。<プロフィール>
宮田和弥◎1966年生まれ。力強く伸びやかな高音をもつ唯一無二のボーカリスト。ソロ活動としても力を注ぐアコースティックライブ『SLOW CAMP』のツアーが3月よりスタート。最近、DNAダイエットにハマっている。JUN SKY WALKER(S)初のカバーアルバム『BADAS(S)』発売中。詳細はデビュー30周年スペシャルサイト http://www.jswxxxproject.com/

(取材・文/杉本真理)

 

週刊女性PRIME

名無しさん 6時間前
いい曲けっこうあったよね
やれるうちは続けていくのはいいこと
50代ならではのやっぱり音なんだし
歩いていこうですね
 
名無しさん 32分前
世代的にはSTARTだな。
 
名無しさん 25分前
奥田民生になれなかった‥
 
名無しさん 23分前
高校生の時に大ファンでした。
またライブ行くぞ!
 
名無しさん 18分前
私はZIGGYが好きだったけど、言うと周りに笑われるから黙ってた
 
名無しさん 9分前
今はまったくそんなことないが、
バンドブーム当時はこいつらが大嫌いだったw
当時は聴き手も妙にとんがった奴ばかりだった感じがする。
今の若い人の方が色んな音楽を柔軟に聴いていそう。
柔軟でないとネットでバカにされるとかの事情もあるんだろうけど。
 
名無しさん 3時間前
あの頃はあまり聴かなかったが、最近「歩いていこう」の良さに気づいた。シンプルだが前向きで名曲だと思う。
 
名無しさん 25分前
奥田民生になれなかった‥
 
名無しさん 10分前
トレイントレインは名曲やな
 
名無しさん 37分前
ジュンスカは、ブルーハーツに伍する時代を代表するバンドだと思う。「歩いて行こう」はもちろん名曲だが、他にもイイ曲がたくさんある。個人的には「PARADE」「さらば愛しき危険たちよ」が好きだ。
 
名無しさん 29分前
「さらば愛しき危険たちよ」は名曲ですよね
 
名無しさん 25分前
奥田民生になれなかった‥
 
名無しさん 12分前
宮田、声量あるけど微妙に音痴なんだよね。。聞いててちょっと安心できない。
 
名無しさん 32分前
NHKのクリスマス特番でユニコーンと一緒に雨上がりとマイシャローナやったよね
リアルタイムで見てカッコいいなあ〜と思ったよ
 
名無しさん 30分前
私もビデオを何回も何回も再生して見てました!ほんとカッコよかった!
 
名無しさん 26分前
私も何度何度も見て、ビデオテープがベロベロになりました。かっこよかった
 
名無しさん 22分前
嬉しい!覚えてる人がいた!!
私も、何回も何回も再生してみました!
当時、ユニコーンに熱狂してました(笑)
 
名無しさん 15分前
たみおー!
って宮田さん叫んでたよね♪
 
名無しさん 4分前
ああ覚えてるわ、平成になったばかりの頃だったと思う。堅物なオヤジはNHKでこんなのやるから顔しかめてたな(笑)今は親も兄弟もバラバラだけど1台のテレビを家族で観ていた時代だったことを思い出してしみじみとしたよ。
 
名無しさん 35分前
J(S)Wは私の青春でした
メンバーの名前をカッティングシートで作って
カバンに貼って登校してましたね
とってもいい思い出です
風見鶏が好きです
 
名無しさん 1時間前
風見鶏よく聴いてたな
 
名無しさん 35分前
白いクリスマスが好きです。
 
名無しさん 30分前
中学時代ジュンスカが全てでした。
声がなくなるまで
すてきな夜空
言葉につまる
名曲沢山あります!いまの学生に聞いて欲しい!
カセットで何度も聞いて何度も泣いて
何度も救ってもらいました。
少ないお小遣いをコンサートに行くために貯めて友達と行きました。
コンサートが終わると会場の階段で感極まって毎回泣きました。
あんなに熱狂的に好きになったのは
ジュンスカだけです。
これからも頑張ってください!
 
名無しさん 1時間前
母が聴いていて今私も聴くようになりましたがとてもいい歌が多いなと思います。
 
名無しさん 2分前
お母さんが聴いてたってことは若いなぁ
 
名無しさん 1時間前
ブルーハーツ→ハイロウズ→クロマニヨンズとずっと組んでるヒロトとマーシーとは対照的やな。でも、あの震災がきっかけで再結成のバンド、多いなぁ。
 
名無しさん 24分前
中学から超がつくほどのファンです。小林雅之さんがいなければおそらく再結成は難しかっただろうし、小林雅之さんの苦労と願いが3人を繋げることが出来たんだと思います。あと、寺岡呼人さんが加入した時から呼人さんは小林雅之さんを慕っていてライブビデオとかでのオフショットでそれが垣間見えるシーンがたくさんありました。寺岡呼人さんだけでなくほかの二人も小林雅之さんには心許せる優しさがあるんだと思います。40過ぎのオヤジになりましたがジャンスカの歌はいつ聞いても色あせることなく飽きません。
 
名無しさん 1時間前
私も記事中に出てきた「雨上がりの夜空に」をジュンスカで初めて聞いた一人です!たしかユニコーンとのコラボだったと思いますが、カッコよくて撃ち抜かれました!
その話をよく主人に話していたので、同じように感じてた人の話が出てきてびっくり&嬉しい!!
 
名無しさん 29分前
僕もです!
確かそのときザ・ナックの「マイシャローナ」もうたってたんじゃないかな。
ジュンスカ、ユニコーンどっちも若いころ大好きでした!
 
名無しさん 20分前
NHKですよね!!
私も見ました
あの頃はまだビデオテープの時代で録画したの覚えてます
懐かしい
この番組がきっかけで雨上がりの夜空にが大好きになりました
 
名無しさん 22分前
ホコ天を代表するバンドですよね。
歩いていこうとか、今聞いても励まされますもん。
♪ジャーンジャーンジャーンジャーンジャーン
ガガがガガガガがが~
歌詞ど忘れ(笑)
いや、でも、イントロから、当時その曲にこもった熱い気持ちを思い出します。
白いクリスマス~Aha~♪や
素敵な夜空も良いですよね。
宮田さんとアイドルの勇直子さんが結婚されたのには驚きました。
あの頃は、ザ、ブームの宮さんもホコ天で歌っていて
何かのイベントを大学の卒業式で少し遅刻したという、音楽雑誌の記事が印象に残っています。
当時はランキングにはXもいたし、B’zも、もちろんBUCK-TICK、バンドの戦国時代のようでした。
他にもレピッシュ、ミンクス、クスクス、ピーズとか、たくさんバンドがいましたね。
今ちょっと、ハッピーマンを歌っていたバンドが思い出せないです。
 
名無しさん 16分前
プライベーツのラッキーマンでは??
 
名無しさん 26分前
mygeration 素敵な夜空 声がなくなるまで だなぁ、やっぱり。パンクバンドなのに切ないラブソングが心に染みたよ。
ルックス、ものすごく変わっちゃったね。俺も変わったんだろうなぁ。でも笑ったときの顔は、あの時のままだね。
 
名無しさん 17分前
ガラスの街が好きでした。超名曲です!
 
名無しさん 10分前
mygenerationだった。綴り間違ってました。3曲とも学生のときに文化祭でコピーした思い出の曲です。
 
名無しさん 5分前
“全部このままで”をギターとピアノだけのバラードで歌ったなぁ。あれもすごく良かった。
 
名無しさん 37分前
ライブ行ったことあるなぁ、懐かしい
 
名無しさん 10分前
ジュンスカ懐かしい。歩いていこうしか知らないけども。同級生がファンだったなぁ。イカ天ブームだったなー。
 
名無しさん 10分前
写真、別人のようで驚いた。
髪型のせいかな?昔の面影がないね。
ヴォーカルとして歌は上手かったと記憶してる。
色々あっても好きなことをやり続けてるって素敵だと思う。
 
名無しさん 6時間前
当時ジュンスカ内では比較的地味な存在だった呼人さんが、あの「ゆず」のプロデューサーとして大成功を収めた時は、感慨深いものが有ったわ。
考えてみりゃ呼人さん、ジュンスカのメンバーの中でソロ作出したの一番早かったし、元々音楽センスは高かったんだろうな。
 
名無しさん 18分前
渋谷陽一のFMで、「一番きらいな(日本の)ロック・バンドは?」との公募の投票で、圧倒的第1位だったのがジュンスカで、逆に好きなバンドの第1位は、何と「ジャックス」だった。これは、早川義夫の率いた伝説のバンドである。
また、原宿のホコテンでは、ジュンスカの周囲ないつも人だかりが出来たが、その斜め前で演奏するバンドには物好きな外国人が足を止める程度で、常に暇そうであったが、バンド名はTHEBOOMであった。後年に、島唄の大ヒットで知られようとは、微塵も思わなんだ。
ジュンスカが五十を過ぎてなおバンドやっているとも、おそらく周辺は思わなかったのと思う。ホコテンから出た組では、ジュンスカこそ本当に息が長い存在です。
私的には、ジュンスカよりブルーハーツが好きだが、彼らの伝説の日比谷野音ライブは、ラフィンノーズのファン圧死事件から一週間ほどしか経過していない同じ現場で実施されたものである。
 
名無しさん 53分前
再結成後に、コンスタンツにヒット曲を出して
演奏やパフォーマンスのスキルが上がって
観客を飽きさせないユニコーンは、怪物なんだと
改めて感じました。
あっ、ジュンスカではなくユニコーンについて
コメントしてしまいました。
申し訳ございません。
 
名無しさん 36分前
デビュー後、1度もメンバーチェンジをせず
未だにシングルもアルバムもオリコンで
10位以内に入り
毎年年末に武道館でライブをやってる
BUCK-TICKが本物の怪物です
 

 

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